現在の高浜市唯一の城址が神谷氏の高取古屋敷
かつての三河国だった愛知県高浜市の高取古屋敷は、この地に勢力をもっていたと思われる神谷氏の屋敷跡です。
歴史
神谷氏については記録が残っておらず、いつの時代でどんな人物だったのかという事もわかりませんでした。
感想
参河名所図絵に次の様な記載があります。
高取村古屋敷、三国聞書集に言、神谷氏は碧海郡高取村より出
ここからわかる事は、碧海郡高取村に高取村古屋敷があり、神谷氏が主だったという事です。しかし詳細な場所が分かっていません。
そこで愛知県中世城館跡調査報告2 西三河地区を調べてみると、碧海郡高取村というのが現在の高浜市本郷町あたりだったみたいです。
さらに明治時代の地籍図を見てみると、高取村宮脇に土塁の様な藪が周囲を巡る屋敷地の存在を確認できます。
この場所は現在の高浜市本郷町2丁目で、高浜市神明町7丁目にある高取神明宮の南側です。周辺には高取小学校など高取の地名が残っています。
あと高取神明宮の創建は、社伝によると歴応四年(1341)と戦国時代以前なので、もしかするとこの地の有力者だと思われる神谷氏と何らかの関係があるのかもしれません。
私の感想ですが、高取村古屋敷の神谷氏は、戦国時代もしくはそれ以前に滅ぼされた土豪だったのではないかと思います。
なぜかというと、歴史は勝者の記録が多く残り、敗者の記録は少ないか、もしくはあまり残らないからです。
お城巡りをしていると、特に三河地方の山城に多いのですが、聞いたことがない城主の名前がよく出てきます。そのほとんどが歴史の途中で滅亡しており、記録が残っていないケースが多いのです。
あと高取村古屋敷の場所が現在の高浜市本郷町2丁目あたりだとすると、ここは交通の要所だった事が分かります。
現在でも刈谷市小垣江方面から、碧南市に向かう途中にあるので、かつても何らかの街道があったのではないかと思いました。
ちなみに高取神明宮の西側と南側は低くなっていますので、逆にいえば高台にあった神社と集落だったのではないかと想像できました。
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