蟹江城 | 小牧長久手合戦の後半戦である蟹江合戦の舞台
蟹江城は小牧長久手合戦の後半戦である、蟹江合戦の舞台になったお城です。
歴史
永享年間(1429〜40)の築城と伝わる蟹江城の築城者は、2つの説があります。
まず一人目は赤目城(愛西市)の横井氏の先祖・北条時任。
もうひとりが渡辺源十郎という人物です。
お城の規模は、ほぼ90m四方で大手口が南にあり、三重の堀で守られており、桑名方面(現・三重県)に対する構えのお城でした。
蟹江城が歴史的に有名になるのは蟹江合戦で、これは天正十二年(1584)小牧・長久手合戦の後半戦ともいうべき、蟹江城の争奪戦です。
織田・徳川連合軍方だった蟹江城主・佐久間正勝は、伊勢(現・三重県)の萱生に砦を築くため留守役を前田与十朗長定に命じました。
しかし長定は、かねて羽柴方の滝川一益に通じており、一益軍を蟹江城へ招き入れてしまいます。
これを知った織田・徳川連合軍は大軍をもって蟹江城を包囲。一益は対抗できず降伏しました。与十朗長定はこの時に亡くなっています。
蟹江城はこの時、織田・徳川連合軍により廃城となり、翌年の天正十三年(1585)に大地震で倒壊したという事です。
歴史
かつては小牧・長久手合戦の局地戦ともなった蟹江城ですが、現在では閑静な住宅街になっており、本丸部分には、蟹江城を示す石碑と井戸が残されています。
石碑のある場所の西側を大きな蟹江川が流れており、西側に対して備えていたお城という事が分かります。
また近くには蟹江町歴史民俗資料館があり、蟹江合戦の展示物が少しあります。
蟹江城の井戸。
合戦で水の手は、かなり重要だったのでしょうね。
蟹江城のすぐ西側には、蟹江川が流れています。
この川も戦国時代には蟹江城を攻めてきた船で埋め尽くされたのでしょうか?
現代よりも川幅は広かったのでしょうね。
所在地 蟹江町大字蟹江本町字城
立地 平城
築城時期 永享年間(1429〜40)
築城者 渡辺源十朗? 北条時任?
主な城主 北条氏、渡辺氏、織田長益、佐久間氏、前田氏、佐久間正勝
現状 住宅街
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