平針第一古城 | 越後の上杉家の家臣だった小野田勘六の居城
名古屋市天白区の平針には2つのお城跡がありまして、そのうちのひとつ。
歴史
城主は小野田勘六という人で、越後の上杉家の家臣でしたが、上杉家を離れ浪人となり、この地で城を持つ身にまでなったといいます。
しかし、領民の評判が悪くどこかへ追いやられたそうです。
また慶長九年(1604)の裕福寺(東郷町)再建の旨札に『小野田長右衛門、同太郎左衛門』の名前があるそうなので、小野田氏はこの地に勢力を持った豪族だったのでしょう。
平針第一古城の規模は東西約60m、南北約57mといわれ、天白川が天然の掘となり、南に走る飯田街道(平針街道)を押さえており、交通の要所でした。
ちなみに桶狭間合戦時、佐々成政がこのお城に入ったとの記録が残っています。
感想
平針第一古城周辺は開発が進んでおり、かつてのお城跡の遺構も無く、現在は神田公園になっています。
一代でその名を消した城主・小野田氏のお墓は、平針慈眼寺ふもとの平針墓地内にひっそりと建っています。
ちなみにこの平針寺慈眼寺は桶狭間合戦時に織田信長が戦勝祈願したお寺で、平針第一古城のすぐ近くです。
佐々成政も桶狭間合戦の時に平針第一古城に入城していますから、信長の動きと何か関係があったのでしょう。
どこからきたのか?そしてどこへ行ったのか?ナゾの城主・小野田勘六のお墓は、平針墓地の中にあります。
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