名古屋城 | 織田信長生誕地の那古野城を拡張した尾張徳川家の居城




名古屋城 | 織田信長生誕地の那古野城を拡張した尾張徳川家の居城

 

 

名古屋市中区の名古屋城はかつての尾張徳川家の居城です。

 

 

歴史

 

もともとこの地には、織田信長の生誕地といわれる那古野城がありました。

 

 

それを拡張する形で、慶長五年(1600)の関ヶ原合戦に勝利した徳川家康が、豊臣家をはじめ西国の諸大名に備えるために築いたお城。

 

 

関ヶ原合戦後、清洲城主・福島正則を安芸国(広島)に移し、代わりに四男の松平忠吉を清洲城に入城させました。

 

 

ところが、慶長十二年(1607)に忠吉が死去した為、駿府(静岡)より九男・義直を呼び、清洲城主としました。

 

 

しかし、清洲は湿地帯に囲まれた平城であり、決して堅固とは言いがたい為、家康が那古野城のあった名古屋台地に築城を命じました。慶長十五年(1610)のことです。

 

 

普請は加藤清正等、西国の諸大名二十家が築城に携わり、五年後の元和元年(1615)にほぼ完成し清洲から徳川義直が入城しました。

 

 

その後第二次世界大戦まで、ほぼ全容を残していましたが、昭和二十年(1945)の名古屋空襲で多くを焼失し、昭和三十四年(1959)に大天守と小天守が再建され、現在は本丸御殿の再建計画が進められています。

 

 

 

 

 

感想

 

名古屋城の感想ですが、ここは1日かけてゆっくり巡りたいお城のひとつです。

 

 

というのは、現在の名古屋城は、名古屋屈指の観光地になっていますが、城外、城内には数多くの見どころがあるからです。

 

 

また名古屋おもてなし武将隊の人気もあって、毎年多くの観光客が訪れるスポットになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外からも見る事ができる名古屋城の遺構


名古屋城の遺構は、名古屋城内に入らなくとも見ることができます。

 

 

主に外堀ですが以外な所にあったりですっかり名古屋の街に溶け込んでいます。

 

 

個人的に一番見どころがあると思うのは、名古屋城の東の大手門だった清水口(しみずぐち)の遺構。街の整備も遺構である堀をうまく利用した作りになっています

 

 

また愛知県図書館の南側の堀の遺構も見事に残っており、健在は私有地となって堀が月極駐車場になっています。

 

 

 

 

 

外堀と内堀


名古屋城の見どころのひとつに外堀と内堀があります。

 

 

外堀は主に水堀と空堀。内堀は空堀になっており、通常の時は中に入る事はできませんが、石垣に挟まれた堀は見事なものです。

 

 

また季節を代えて訪れてみると、堀の中の草木の変化が分かります。

 

 

 

 

 

堀川


名古屋城の西を流れる堀川は、その名の通りお城の堀の役割を果たすために作られた川です。

 

 

開削総奉行は、なんと福島正則という意外な人物です!

 

 

福島正則と言えば、賤ヶ岳七本槍筆頭にも上げられている、超武闘派のイメ‐ジが強い武将ですが、こういう大規模な土木工事の指揮も取っていたのですね。

 

 

 

 

 

城内の巨石をよく見てみると…

 


名古屋城内に入ると、まず目に飛び込んで来るのが、石垣に使用された巨石たちです。

 

 

記録に残っているだけでもその巨石たちの産地は岩崎山(小牧市)三河蒲郡(蒲郡市)の海岸、そして海の向こうの篠島等、さまざまです。

 

 

まだ現在の様に、トラックやクレ-ン車等が無かった時代、そのほとんどが人力で運ばれていました。

 

 

何人もの人夫達が石を引きその石の上ではお囃子の者や遊女たちが、人夫達を励ましていたそうです。

 

 

これらの巨石を見つめていると、築城時の賑わいが聞こえてきそうです。

 

 

そして巨石以外の石にも注目して見ると…なんと様々なマークが入った石を発見しました!!

 

 

単なる落書きにも見えてしまうこのマーク。

 

 

実は普請した大名達が、自分達が苦労して運んできた石を、間違えられない様に刻んだものといいます。

 

 

 

 

 

刻文の石も!


石垣の石をよく見てみると刻紋だけではなく、なにやら文字が書いてある石があります。

 

 

刻紋だけでは物足りなかったのでしょうか?

 

 

城内にいくつかあるので探してみましょう。

 

 

ちなみにこの石は『たなかちくごのかみ』と書いてあります。

 

 

筑後柳川(現・福岡県)の大名だった田中忠政のことですね。

 

 

 

 

 

人気の加藤清正


本丸前の売店近くに一際目立つ巨石があります。

 

 

この巨石は築城の名手である、加藤清正が運んで来たという伝説が残る清正石。

 

 

しかしこの場所は、黒田長政の丁場(担当区域)だったので、やはり伝説なのでしょうか?

 

 

清正石の地図

 

 

 

 

 


また城内には清正が石の上に建って皆を鼓舞している清正公石曳きの像もあります。

 

 

加藤清正も名古屋城の築城に携わっており、担当区域は大天守の部分。

 

 

大天守がある天守台の石垣は清正が築いたもので、石垣も上に行くほど角度が急になる扇の勾配という独特の積み方です。

 

 

 

 

 

名古屋城の重要文化財

 

名古屋城には門が3つ。櫓が3つ、合計6つの重要文化財があります。

 

 

門は一般公開され、いつでも見る事ができますが、櫓は決まった日にしか見る事ができないんです。

 

 

1年のうち、何度か櫓が公開される日があるので、その日を狙って行ってみるのもいいですね。

 

 

 

 

 

本丸御殿


現在、名古屋城の本丸御殿が再建中で、3段階に分けて完成した部分から内部公開されています。

 

 

この本丸御殿の観覧料は無料。

 

 

大天守の前にあり、工事も常に進めています。

 

 

中に入ると、煌びやかな空間が広がっているんですが、それもそのはず。

 

 

本丸御殿は当初、尾張藩主の住まいとして建てられたものですが、途中から将軍が上洛する際に宿泊する専用施設になってしまい、そのために豪かな装飾を施されたそうです。

 

 

しかしそんな本丸御殿も太平洋戦争で焼けてしまい、今回の復元となりました。

 

 

私の感想ですが、この本丸御殿はかなりオススメですので、名古屋城に行ったら必ずチェックしておきたいポイントのひとつです。

 

 

 

 

 

そして大天守


いよいよ天守の中です。

 

 

名古屋城には小天守と大天守という2つの繋がっている天守があり、主に見学できるのは大天守です。

 

 

構造は小天守は2層(2階地下1階)、大天守は5層(7階地下1階)になってます。

 

 

この2つの天守を地階の橋台で結んだ連結式天守(れんけつしきてんしゅ)という形式です。

 

 

 

 

 


城内にはいろんな展示のほか、体験ゾーンや売店などもあります。

 

 

この天守内は名古屋城でも一番時間を確保してゆっくり周ってみたいポイントでもあります。

 

 

また階段とエレベーターがあり、週末になると観光者も多いので、階段の方がスムーズに移動できます。

 

 

 

 

 


大天守の最上階は売店と展望台になっていて、360℃の風景を見渡すこともできるんです。

 

 

ちなみに写真は名古屋駅方面。

 

 

天気が良い日には、かなり遠くまで見渡すことができるんです。

 

 

・所在地  中区本丸1丁目

 

・立地  平城

 

・築城時期  慶長十五年(1610〜)

 

・築城者  徳川家康

 

・主な城主 尾張徳川氏

 

・現状  お城

 

地図


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