篠島城 | 篠島に残る義良親王ゆかりのお城




篠島城 | 篠島に残る義良親王ゆかりのお城

 

 

愛知県南知多町の離島・篠島には篠島城というお城跡があります。これは義良親王ゆかりのお城でもあります。

 

 

 

 

 

歴史

 

【篠島史蹟】によると、篠島城の城主は室賀左近太夫秋季とあり、古代中期の律令制時代(645〜957)篠島城の周辺には、現在よりも群島が多く、これらを支配していた者を篠島王といいました。

 

 

その居城が篠島城だったといいます。

 

 

その後、源平抗争が盛んだった頃、室賀左近太夫秋季が篠島城主として在城し、源氏方として、須佐の須佐為基と共に平家の情報を伊豆の頼朝に提供していました。

 

 

しかしこの室賀さん、治承四年(1180)頼朝が初挙兵した時、手勢を率いて海路にて救援に向かいましたが間に合いませんでした。

 

 

時は流れ歴応元年(南朝・延元三年=1338)、南朝の正統・義良親王(後の後村上天皇)が東国へ向かう途中、遠州灘で暴風雨に遭い、この島に漂着されました。

 

 

島民は慌てて神官・辻三太夫宅にお迎えし、大急ぎで島の東にあった古城を修理し、ここを仮の宿舎としたというので、既に室賀氏はおらず、篠島城も荒廃していたのでしょう。

 

 

親王の在島は約半年でしたが、後に即位されたので、島民は篠島城を行宮と呼び、以後は誰も立ち入らないまま廃城となりました。

 

 

ここを城山と呼ぶようになったのは近世の事です。

 

 

 

 

 

感想

 

篠島城は篠島小学校の東の小山で、現在は篠島水神社と畑地になっています。

 

 

南方の住宅地から、篠島城に登る道があり、狭く曲がりくねった様子は、やはり、お城跡を想わせる造りです。

 

 

本丸部分には色々な神様が祭ってあり、大正時代に造られた石碑も残っています。そしてうっすらですが土塁の様なものも確認できます。

 

 

周辺の畑地は曲輪郭の様な感じがしますが、現状はやはり畑。こちらは遺構も残っていません。

 

 

篠島城は戦による篭城・落城は伝わっていませんが、西方を除き三方は崖で、しかも海に近かったので、要害だった事を伺わせます。

 

 

 

 

 


篠島城へはフェリーで向かいます。

 

 

師崎のフェリー乗り場から乗れば、幡豆崎城とセットで巡る事ができますよ。

 

 

>>篠島へのアクセス方法詳細

 

 

 

 

 


篠島小学校の東側にある小山が篠島城です。墓地から登っていきます。

 

 

 

 

 


本丸部は削平地になっており、いろんな神様が祭ってあります。

 

 

 

 

 


本丸の隅を見ると、ほんの少しですが土塁の跡みたいなものもあります。

 

 

 

 

 


これが篠島城の看板と石碑。

 

 

 

 

 

 


篠島には名古屋城築城の際に加藤清正が石材を調達した歴史があります。

 

 

良質の石が採れたのでしょうね。

 

 

現在でも海岸には清正の枕石(まくらいし)という、クサビは打ったのですが運び出されなかった石が残っています。

 

 

 

 

 


近くの森の中には石切り場もあります。

 

 

 

 

 

 

 

愛知県中世城館跡調査報告W 知多地区より

 

 

作図者 高田徹 氏

 

 

所在地 南知多町大字篠島字東山

 

立地 平山城

 

築城時期 ?

 

築城者 室賀左近太夫秋季

 

主な城主 室賀氏、義良親王(後の後村上天皇)

 

現状 城山水神社・畑地

 

地図


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