所在地  豊田市西広瀬町西前
立地  山城
築城時期  天正年間(1573〜91)
築城者  佐久間氏
主な城主  佐久間信直・全孝
現状  山林
地図

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お城の歴史

 『三河国二葉松』によると、城主は佐久間信直・全孝とあります。

佐久間氏といえば、尾張の織田氏の家臣。つまり西広瀬城は、織田氏の三河侵攻の前線基地として
重要拠点であったことが伺えますよね。

そんな西広瀬城主は歴史的にも大きな事をやってしまいます。

天文十八年(1549)、岡崎城主・松平広忠(徳川家康の父)は近侍の岩松弥八に刺殺されて
しまいますが、じつは弥八は当時の西広瀬城主・佐久間全孝が遣わした刺客であったとか。

これの報復として天野賢景が西広瀬城に攻め入り、西広瀬城は落城、全孝は討ち取られました。

そんなワケで西広瀬城は戦国の世の悲惨な謀略の舞台となったお城なのでした。


あさメモ

 歴史的に大き意味合いを持つ西広瀬城は、現在山林となっていますが、遺構は良好に残っています。

お城の東を流れる飯野川は天然の堀の様で、この川沿いに石碑と看板が建っています。ココからお城に
入っていきましょう。

すると山中の平地に出て、左右に山があります。じつはこの平地は巨大な堀切で、向かって左の山が
お城跡です。

西広瀬城の縄張りはそれほど複雑ではなく、山頂の三段の曲輪とそれを取り囲む様に配置された
堀・土塁のみです。

が、ハッキリとした登城口がありません。したがって、登れそうな所から適当に登る事になります。

登りきった所は人工的な削平地で、それが三段になっています。

一番上の曲輪(本丸?)にはさらに物見台の様な土盛がありましたが、じつはこれ土塁なんです。

下の巨大な堀切に向かって築かれており、その役割が伺えますよね。

なかなか難易度の高いお城の様に思えますが、攻城の歴史もありますので、歴史に浸るには
もって来いのお城ですよね。

西広瀬城

(にしひろせじょう)

 ← 川沿いの石碑から登ると山中の平地に出ます。

じつはこの平地は巨大な堀切の底なんですよね。

登って来た方向かって左側の山が広瀬西城です。

→ 城内には三段の曲輪がハッキリと残ります。

ちなみに私の身長は150cm。

高低差も分かりますよね。

← 一番高い曲輪にあった土盛。

物見台と思いきや、じつは土塁なんです。

巨大堀切に向かって築かれており、半分崩落しています。

愛知県中世城館跡調査報告U西三河地区より