大府市の詳細不明のお城まとめ




大府市の詳細不明のお城まとめ

かつての尾張国である、愛知県大府市の詳細不明のお城跡をまとめてみました!

 

 

大清水館


大府市桃山町1丁目。『七津大夫』という人が居住していた場所。地元の人は『大夫様』と尊称し、村の名前まで大夫村にしてしまいました。その後、大夫村は伊勢神宮より大府というものを村に納めていたので、『大府村』となり、これが大府市の由来になりました。

 

 

かつての館跡は宅地になり、遺構は残っていませんが、少し高台にあり雰囲気は残っています。当時の井戸も未だに残されており、この地は周辺に住む人たちにとっても、特別な場所だったのでしょうね。

 

 

 

 

 

長草城


『長草史』によれば、この地の地頭職だった藤田民部の居城跡。お城の場所は大府市長草町字本郷の天神社付近という事ですが、お城というより屋敷跡だったみたいです。

 

 

天神社は周囲より高台にあり、お城の雰囲気は残るものの、なにせ戦国以前の鎌倉時代の お城(屋敷)なので、遺構は残りようがなかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

丸根城


大府市共栄町6丁目付近。『大府町史』に富田左京亮が居城したとの記述がありますが、詳細は不明です。

 

 

 

 

 

追分城・阿部屋敷


追分城は永禄二年(1559)に稲垣淡路守の築城と伝わりますが、『尾張古城』には、「何人の城か知りがたし」とあります。

 

 

追分城は土塁を巡らし、約5・4mの幅の堀もあったそうです。しかしお城の遺構は昭和七年、大浜街道建設の際に破壊され、現在では残っていません。江戸時代には同じ場所に尾張藩士・阿部正興の屋敷が建てられました。

 

 

追分城は大府北中学校とマンションになっており、お城を偲ぶものは何も残っていませんでした。しかし、大府北中学校の片隅に、平成14年度の生徒たちの研究成果として、追分城跡の説明版が建っています。

 

 

 

 

 

景清屋敷


大府市吉田町(よしだちょう)1丁目にある景清社にかつて平景清の屋敷があったと伝わるのみで詳細は不明です。

 

 

 

 

 

沢井丹後屋敷


葉栗郡黒田城主の後裔・沢井氏の屋敷跡。現在では横根町山ノ井の企業の社宅になっています。

 

 

 

 

 

尾張藩吉田屯所


【大府町史】によると、尾張藩が伊勢湾・衣浦湾の警備のために編成した農兵隊・『金鼓隊』の宿舎だったそうです。

 

 

これは明治の軍事施設跡ということでオマケで載せてみました。現在は馬池町4丁目のゴルフ場になっており、屯所の遺構は残っていません。

 

 

 

 

 

城畑参考地


知多新四国八十八カ所・二番札所である極楽寺周辺に、お城があったという伝承が残っていますが、詳細は不明です。

 

 

 

 

 

猪伏村参考地


長沢寺南西にお城があったという伝承があります。一説には合戦時の村人の避難所だったとか。場所は森岡町山ノ上西

 

 

 

 

 

米田古城参考地


現在の米田町はかつての知多郡半月村で、【古城】の字名があったそうです。

 

 

現在の米田町4丁目あたりがかつて【古城】という字名ですが、周辺は宅地開発が進み、お城に関する遺構や伝承は残っていません。

 

 

 

 

 

延命寺類似遺構


大東町1丁目にある延命寺が、お城だったという説があります。

 

 

 

 

 

七津太夫屋敷伝承地


大清水館の七津太夫の屋敷が、現在の中央町1丁目付近にあったそうです。


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