吉良上野介の善政を知る西尾市吉良町の黄金堤と東条城攻めの古戦場




吉良上野介の善政を知る西尾市吉良町の黄金堤と東条城攻めの古戦場

 

 

愛知県西尾市吉良町の黄金堤(こがねづつみ)は、吉良義央(上野介)の善政が残した史跡ですが、戦国時代の東条城ともゆかりの深い史跡です。

 

 

 

 

 

黄金堤の住所

西尾市善明町下深

 

 

黄金堤の地図

 

 

忠臣蔵の敵役として知られる吉良義央(上野介)ですが、彼の領地だった西尾市吉良町では、名君として今でも尊敬されています。

 

 

その理由は、黄金堤や富好新田という治水・新田開発を積極的に行ったからです。

 

 

まず黄金堤のエピソードですが、貞享三年(1686)頃、現在の吉良町では洪水に悩まされていたのですが、吉良義央が堤防を築くことを考えます。

 

 

しかし隣りの西尾藩から反対もあり、一夜限りという短い期間と壊れても修復はしないという条件で堤防を築くことになりました。

 

 

この時、領民の協力があり一夜で堤は完成し、その一部は数百年経った今でも残っており、桜の名所として親しまれています。

 

 

 

 

 

でも古戦場でした

 


黄金堤は吉良義央の善政を知る史跡でもありますが、それと同時に古戦場でもあります。それが鎧ヶ淵(よろいがふち)古戦場です。

 

 

ここは桶狭間合戦後の永禄四年(1561)、岡崎城を拠点とした松平元康(後の徳川家康)と、東条城の吉良義昭が戦った古戦場なのです。

 

 

攻め寄せる松平軍でしたが、吉良氏の重臣で室城主だった富永忠元(伴五郎)の活躍により敗退し、深溝城(幸田町)主・松平好景が討たれるなどの大打撃を被りました。

 

 

これを善明堤の戦い(ぜんみょうつつみのたたかい)といいます。

 

 

今では黄金堤の方が有名ですが、駐車場入口に古戦場の石碑が建っています。

 

 

 

 

 

感想

 

私の感想ですが、同じ場所に歴史ゆかりの史跡が2つあるので、黄金堤は西尾市の史跡を巡る時にオススメだと思います。

 

 

また吉良町の北部でさらに北に進めば西尾市なので、西尾市の史跡やお城とセットにすることができます。

 

 

4月中旬の桜の季節になると、花見客やバーベキューを楽しむ人達が増えるので駐車場は混雑しますが、24時間立ち寄る事ができるので、時間帯をズラして訪れてみてはいかがでしょうか。


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