旧西尾市の詳細不明のお城まとめ




西尾市(西尾市、旧吉良町、旧幡豆町、旧一色町)の詳細不明のお城まとめ

愛知県西尾市の旧西尾市の詳細不明のお城まとめてみました。

 

 

南中根城


【愛知の城】(山田柾之著・マイタウン)では『中根城』として出てくるお城。

 

 

南中根天満神社由緒によれば、城主は鳥居伊賀守忠吉との事。また明応年間(1492〜1501)に米津道寿という人が、尾張国・大野(現・常滑市)から攻めてきて、南中根城は落城。

 

 

そしてお城があった中根村は、『中根村』と『米津村』(城主名から村名とした)に分裂しました。

 

 

かつての南中根城は開発が進み、お城としての遺構は残っていませんが、南側から見ると朝鮮川を天然の堀としたお城が見えてきます。周囲の田んぼは、かつてお城を取り巻いていた湿地帯を想わせます。

 

 

 

 

 

熊子砦


『西尾市史』によると、牧主計吉元という人が、熊子村に屋敷を築いて稲荷を祭ったとの事。この稲荷が久麻久神社です。

 

 

そして三河一向一揆の時には、屋敷を砦として徳川方に味方しました。つまり砦は熊味町の久麻久神社境内にあった事になります。

 

 

 

 

 

寄近屋敷


中神藤左衛門の屋敷跡です。現在は後裔の高橋氏が住んでいます。寄近町字堂本の法厳尼寺が、かつての屋敷跡と伝わります。屋敷の遺構は残っていませんが、中神氏の古いお墓がお寺の中にありました。

 

 

 

 

 

徳永城


応永年間(1394〜1428)の頃に徳永小七朗義雄がこの周辺を領有し築いたお城と伝わります。【三河国二葉松】には、徳永法印・冶左衛門・左馬助寿昌の名前があります。

 

 

徳永町西側にある立清寺が徳永城跡と伝わります。境内裏手に土塁が少し残っており、お城跡を偲ぶ事ができます。

 

 

 

 

 

八ケ尻城


八ヶ尻城については【三河国二葉松】に、『鉢尻村古城、高須某』とあります。この高須某とは高須河村権七朗という人との事。お城の詳細不明。

 

 

八ヶ尻城は八ヶ尻町字郷中にあったとの事ですが、住宅開発が進み現在では何も残っていません。しかし郷中地内の個人宅に通称『ゴリンさん』と呼ばれる古いお墓があります。このお墓はもともと貝塚の中にあったものだそうですが、整地の際に現在の場所に移し祀ってあります。

 

 

 

 

 

平口古屋敷


弘治四年(1558)〜永禄七年(1564)に存在した鈴木八衛門重直の屋敷跡です。この鈴木八衛門重直という人は、後に三河国の代官となりました。

 

 

平口町の浄念寺一帯が、かつての屋敷跡と伝わりますが、屋敷の遺構は残っていません。

 

 

 

 

 

糟塚砦


家康の東条城攻めの際に使用された砦。守将は幡豆小笠原氏の一族・小笠原三九郎長茲。吉良氏滅亡後、砦も戦では使われなくなったらしく、小笠原氏も各地を転戦して家康の関東移封に従い、この地を離れました。

 

 

昭和四十七年の宅地造成に伴い、砦跡の大半が削られてしまい、ほとんど消滅状態です。周囲を流れる須美川が堀を想わせ、そこに架かる『城山橋』くらいが、かつての砦跡を偲ばせる程度です。

 

 

 

 

 

下永良陣屋


旗本・諏訪若狭守頼秋の陣屋跡です。石高は5千石との事。設置されたのは宝永二年(1705)で、明治まで続きました。

 

 

かつての陣屋跡は宅地・畑地と化してしまいましたが、下永良町鎮守に陣屋関連の石碑がありました。周囲には古そうな石垣もあり、当時のものなのか?興味がわきました。

 

 

 

 

 

貝吹陣屋


嘉永七年(1854)に設置された板倉氏の陣屋跡です。江戸時代末期の陣屋で、そのまま明治まで存続しました。

 

 

かつての貝吹陣屋跡は個人宅となり、陣屋の遺構は確認できませんでしたが、大きなお屋敷で、陣屋の雰囲気がうかがえました。

 

 

 

 

 

平原陣屋


宝永年間(1704〜11)に岡部氏が設置した陣屋跡です。石高は三千石。かつての陣屋跡は平原町稲荷にある最厳寺周辺と伝わります。この地区は道が細いので、車で訪れる際には注意したいですよね。

 

 

 

 

 

羽角村古屋敷


徳川家康の近習として仕えた、村越茂助の屋敷跡です。茂助は家康とともに各地を転戦、家康の関東移封後は近江・武蔵などで一万石の領主となり、慶長五年(1600)には家康の老中格の地位に抜擢されました。

 

 

関ヶ原合戦後は、家康と小早川秀秋の仲介、三成の佐和山城の受け取り、小西行長・安国寺恵瓊の預かり等、戦後処理に活躍しました。

 

 

羽角村古屋敷の詳細な場所は分かっておらず、西尾市上羽角町郷内にある専念寺周辺ではないかとの事です。この専念寺は村越茂助の菩提寺でもあり、境内にお墓も残っています。

 

 

 

 

 

鵜ヶ池邸


東条吉良氏に仕えた富永伴五朗忠元の父・忠安の屋敷跡です。忠安は、主家・東条吉良氏が滅び、息子・伴五朗忠元も戦死して、悲観にくれ、この地でひっそりと暮らしていました。

 

 

家康は忠安の器量や主君への忠誠心に感心し、寺(妙満寺)や土地を与えたと伝わります。

 

 

かつての屋敷跡は鵜ヶ池町字上屋敷にあり、宅地と化し、遺構は残っていません。ちなみに妙満寺はこの地にありましたが、江戸時代に場所を移され、現在では西尾市大給町にあります。


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