比良城 | 織田信長に仕え越中富山城主になった佐々成政の生誕地
名古屋市西区の比良城は信長の家臣で後に越中富山城主になる佐々成政の生誕地です。
歴史
天文年間初め頃に、成政の父である佐々伊豆守成宗が築城しました。
規模は東西約68m、南北約72mほどで、二重の堀があったそうです。
成政は天正三年(1575)に柴田勝家、前田利家らとともに北陸へ移動、越前府中を与えられ、越前小丸城主となりました。比良城は、その時に廃城になりました。
感想
お城跡は、名古屋市西区比良にある光通寺一帯とのことで、お寺の墓所の奥に『佐々成政城址』という愛知県の石碑がありました。
比良城だけに平城で(笑)周辺地域も、とてもよく開発されて全く遺構はありませんでした。
ちなみに成政が後に富山に移った際、一族もここより移りましたが、三男の雄助は早川という姓を名乗り、この地に残りました。
現在、比良で早川姓を名乗る家は、その子孫であるという説があります。
境内の墓地に佐々成政生誕地と刻まれた石碑があります。
蛇池
比良城の近くに蛇池という大きな池があります。
信長公記によると、この池は織田信長が家督を継いだばかりの頃、この池で大蛇を見たという村人の話を信長が聞いて、水から潜った池です。
その時、家来や付近の農民を集めて水をかき出させ、信長自身も池に入って探したが分からず、ついには見つかりませんでした。
またこの時、逆心を疑われた成政が、信長を討とうと企てたという伝説が残っています。
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