中村区




中村区のお城記事まとめ

稲葉地城 | 信長の叔父・津田豊後守信光の居城

名古屋市中村区の稲葉地城は、信長の叔父にあたる津田豊後守信光の居城。もしくは織田孫三郎信光ともいわれるお城です。歴史信光は小豆坂七本槍に数えられた人物で、豪勇をもって知られた人物です。織田信秀が亡くなり信長が家督を継ぐと信長を支え、萱津合戦や村木砦の戦いなどで活躍しました。信長公記によると、当時、信...

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岩塚城 | 斯波氏の一族の吉田氏の居城

名古屋市中村区の岩塚城は、尾張守護職だった斯波氏の一族である吉田氏の居城です。歴史吉田治郎左衛門重氏が築城して、守氏、元氏と代々吉田氏の居城となりましたが、元氏は永禄十一年(1568))信長の伊勢国・大河内城攻めで討ち死にし、元氏の子・九郎左衛門は、織田信雄に仕えました。感想かつての岩塚城跡は、東海...

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大秋城 | 那古野城主今川氏豊に属した大秋氏の居城

名古屋市中村区の大秋城は、『尾張徇行記』に記載があるお城で、天文〜弘治年間(1532〜1557)に、那古野城主今川氏豊に属した大秋村の住人、大秋十郎左衛門一族が住んだ館であると推測されます。信長公記には大脇の城という名前で出てきます。歴史築城地は平地ですが、北・東・南を川に囲まれ、西は堀で守られてい...

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烏森城 | 秀吉の家臣だった杉原氏の居城

名古屋市中村区の烏森城は秀吉の家臣だった杉原氏の居城です。歴史築城は杉原家次という人で、家次は秀吉の伯母を妻としていたため、早くから秀吉軍に属していました。家次が亡くなった後、息子の長房も秀吉と共に各地で活躍し、文禄三年(1594)には但馬国豊岡で三万石の大名になっています。その後、長房は慶長五年(...

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米野城 | 林秀貞の与力だった中川弥兵衛の居城

名古屋市中村区の米野城は、織田家重臣・林秀貞の与力だった中川弥兵衛の居城と伝わります。歴史『信長記』によると、中川弥兵衛は弘治二年(1556)に起こった信長と信勝(信行)が戦った稲生合戦で、大秋城と共に信勝方として参陣。清州と那古野の街道を分断して、信長方の物資の輸送を止めるという手柄を立てましたが...

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日比津城 | 南北朝時代に築かれた野尻氏の居城

名古屋市中村区の日比津城は南北朝時代に築かれたと伝わる野尻氏の居城です。歴史別名・日比津乾屋敷城ともいう日比津城は、城主の名に野尻掃部という名があります。野尻氏は信濃の出身で、この地にやってきて勢力を拡大し多くの家臣もいたそうで、【日本城郭大系】によると、戦国期には清州の織田氏が絶えず監視を怠らなか...

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日比津栗山城 | 野尻掃部の家臣だった野尻藤松の居城

名古屋市中村区の日比津栗山城は日比津城の近くにあったお城で、城主は日比津城主・野尻掃部の家臣だった野尻藤松という人物と伝わります。歴史日比津栗山城の規模は東西約54メートル、南北約43メートルで、二重の堀があったそうです。また城主であった野尻氏についての資料がなく、詳細については分かっていません。感...

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豊臣太閤屋敷 | 豊臣秀吉が住んでいたといわれる場所

名古屋市中村区の豊臣太閤屋敷は、太閤・豊臣秀吉の生誕の屋敷があったといわれる場所です。歴史藤吉郎秀吉(後の羽柴・豊臣秀吉)は、6歳の時に実父・木下弥右衛門が死亡し、母『なか』は藤吉郎と姉『とも』を連れて筑阿弥と再婚しています。現在、常泉寺がある所は、筑阿弥の屋敷があったと伝えられる場所で、秀吉の出生...

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小出屋敷 | 豊臣秀頼の補佐役だった小出秀政の屋敷跡

名古屋市中村区の小出屋敷は、桐且元とともに豊臣秀頼の守り役を務めた、小出秀政の生まれた屋敷があったと伝わる場所です。歴史秀政は、妻が秀吉の生母『大政所』(俗名なか)の妹であった縁で、秀吉に仕え、秀吉と共に長年戦い続けました。秀吉が亡くなった後、関ヶ原合戦では、長男・吉政を西軍、次男・秀家を東軍につか...

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木下長嘯子屋敷 | 北政所の甥・木下勝俊の屋敷跡

名古屋市中村区の木下長嘯子(ちょうしょうし)屋敷は、木下肥後守家定の嫡子で、北政所の甥だった木下勝俊が住んでいたといわれる屋敷跡です。歴史勝俊は早くから秀吉に仕えて各地を転戦、軍功を重ねて播磨国竜野城主となり、文禄三年(1594)には若狭国九万石に封ぜられ、左近衛権少将に任ぜられました。しかしこの頃...

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清正屋敷 | 加藤清正の生誕地といわれる場所

名古屋市中村区の清正屋敷は、戦国武将の中でも人気が高い加藤清正の生誕地として通説になっている場所。歴史通説によると清正の母と秀吉の母は従姉妹の関係にあり、その縁で清正は秀吉に仕えました。その後は秀吉に従い各地を転戦、福島正則と共に賤ヶ岳合戦や山崎の戦いで武功を競い合い、肥後国(現在の熊本県)の北半分...

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隠斉屋敷 | 秀吉の妹・朝日姫の夫だった副田甚兵衛の屋敷跡

名古屋市中村区の隠斉屋敷は、秀吉の妹・朝日姫の最初の夫だった副田甚兵衛(そえだじんべえ)の屋敷跡です。歴史甚兵衛は早くから羽柴秀吉に仕えて秀吉の妹・朝日姫を妻と結婚します。その後、秀吉と共に各地を転戦し、但馬国多伊城主となります。本能寺の変後に大徳寺で行われた織田信長の葬儀では奉行を務めたりもしまし...

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吉田屋敷 | 最後の岩塚城主・吉田九朗左衛門の屋敷跡

名古屋市中村区の吉田屋敷は、最後の岩塚城主である吉田九朗左衛門の屋敷があったといわれる場所です。歴史吉田氏はもともと尾張守護職・斯波氏の一族で岩塚城主でした。織田信長によって斯波氏が退けられた後、織田家に仕える事になり、九郎左衛門は織田信雄の家臣となりました。感想吉田九郎左衛門の屋敷があったといわれ...

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秋田屋敷 | 岩塚城主・吉田氏の従弟の秋田左内の屋敷跡

名古屋市中村区の秋田屋敷は、最後の岩塚城主である吉田九郎左衛門の従弟・秋田左内の屋敷があったといわれる場所です。歴史秋田左内については【尾張志】に次の様な記述があります。『岩塚村、八幡社辰巳(南東)の方にあり。左内は吉田九郎左衛門の従弟にて、のち福島正則に討たれた』これ以外に左内に関する資料は今のと...

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