米田城 | 簗田政綱が城代を置いて治めていたお城
名古屋市守山区の米田(こめだ)城は、桶狭間の戦いで、今川義元の居場所を信長に伝えて、戦功第一となった簗田(やなだ)政綱が城代を置いて支配したお城です。
歴史
米田城自体、別名を『やなだが城』といい、これは桶狭間で戦功第一となった簗田政綱の『簗田』から来たといわれています。
【尾張徇行記】という資料に米田城が『番城』と記載され、この事について【尾張の古城】の著者・笹山忠氏も簗田政綱が一族か重臣を城代に置いていた事を示していると指摘しています。
さて、梁田政綱は、もともと九之坪城(北名古屋市)の城主で、桶狭間合戦後に沓掛城(豊明市)と米田城を拝領したみたいです。
政綱は本能寺の変の前に亡くなっており、子孫は徳川氏に仕えましたが、4代で嗣子無く、梁田家は途絶えました。
感想
米田城は梁田政綱ゆかりのお城という以外、規模や詳細などが全く不明なのですが、天保十二年(1841)に制作された村絵図に城跡の記載があることから、地元では有名なお城だったのではと思います。
村絵図から米田城は大森城の東南に位置する場所にあったみたいで、現在の定納公園あたりと推測されます。
この地は、周囲より少し高くなっています。
明治初め頃まで、掘のようなものがあったと伝わりますが、現在では開発が進み何も残っていません。
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