吉根城 | 織田信雄の家臣・北野彦四郎の居城




吉根城 | 織田信雄の家臣・北野彦四郎の居城

 

 

名古屋市守山区の名古屋市守山区の吉根城は、織田信雄の家臣である北野彦四郎の居城といわれています。

 

 

 

 

 

歴史

 

北野彦四郎は春日井郡北野村の人で、二百六十貫(約1300石)の知行で織田信雄に仕えており、小牧・長久手合戦も信雄に属して戦ったそうです。

 

 

しかし戦に敗れて居城である吉根城に戻り、この城で亡くなったと伝わります。

 

 

 

 

 

感想

 

吉根城はお城の遺構はこれといって残っていませんが、実は私のおすすめのお城のひとつなんです。

 

 

遺構も残ってないのになぜ『オススメ』になっているのか?

 

 

それはお城の雰囲気が、かなり残るお城だからです。

 

 

まず、北を流れる庄内川は天然の堀の役目を果たし、さらに急峻な崖で守られています。

 

 

南は街道筋を押さえており、吉根城をなんとかしないと、安心して通る事ができなかったのでしょうね。

 

 

そして現在の神明社がある所が本丸で、右手の高くなっている所が物見台と伝わります。

 

 

さらに、一番気になるところは、神明社前の道路。

 

 

最近拡張された綺麗な道路ですが、水神様の石碑があるところから、道路向こうの民家を見てみると……

 

 

なんと神社の境内と高さがほぼ同じなのです。

 

 

道路だけが、低い地にあるので、ひょっとして掘だったのでは?

 

 

そして道路より高く、本丸と同じ高さの民家は、郭のように思えてなりません。

 

 

想像するほどキリがない吉根城。『昔の地籍図が見たい!』そう思うお城のひとつです。

 

 

 

 

吉根城,織田信雄,家臣,北野彦四郎,小牧合戦

写真で見れば、北側は庄内川を天然の堀にしていた事が分かりますよね。さらに高台にあり、川が氾濫しても浸水しないのです。

 

 

 

 

 


写真の右手が『物見台』です。高くなっていますね。

 

 

そして『物見台』と伝わる場所の頂上には、山神様が祭ってありました。

 

 

 

 

 


水神様の石碑から民家を望む。本丸と伝わる境内と同じ高さなんですよね。間に走る道路は掘なのかもしれません。

 

 

・所在地  守山区吉根字上島

 

・立地  平城

 

・築城時期  ?

 

・築城者  北野氏

 

・主な城主  北野氏

 

・現状  神明社

 

地図


関連ページ

名古屋市守山区の詳細不明のお城
名古屋市守山区の詳細不明のお城跡をまとめてみました。
龍泉寺城 | 信長の弟・織田信行の居城
名古屋市守山区の龍泉寺城(竜泉寺とも)は、信長の弟・信行の居城です。信行が亡くなった後に廃城になりましたが、小牧長久手の合戦で砦として利用されました。
守山城 | 松平清康を巻き込んだ守山崩れの現場
名古屋市守山区の守山城は、松平清康が攻め込みましたが、守山崩れという出来事が起きた現場です。
小幡城 | 小牧・長久手合戦で家康が入城したお城
名古屋市守山区小幡城は織田信光ゆかりのお城でもあり、小牧・長久手合戦の時は家康が入城した歴史があります。
大森城 | 新居城の水野氏と対峙した尾関勘八朗の居城
名古屋市守山区大森城は、尾張旭市の新居城の水野氏と対峙した尾関勘八朗の居城と伝わります。
川村北城 | 織田広近の息子・津田武永の居城
名古屋市守山区の川村北城は織田広近の息子・津田武永の居城と伝わります。
川村南城 | 織田信長に仕えた水野右京進清忠の居城
名古屋市守山区の川村南城は、織田信長に仕えた水野右京進清忠の居城と伝わるお城跡です。
志段見城 | 南北朝時代の水野良春の居城
名古屋市守山区の志段見城は南北朝時代に水野良春が築城したお城といわれています。
米田城 | 簗田政綱が城代を置いて治めていたお城
名古屋市守山区米田城は、桶狭間合戦で戦功があった簗田政綱が城代を置いて治めていたお城と伝わります。
大永寺城 | 尾張徇行記に記載がある川原平作の居城
名古屋市守山区の大永寺城は尾張徇行記に記載がある川原平作の居城ですが、謎が多いお城です。

ホーム RSS購読 サイトマップ