三方ヶ原合戦で徳川家康の身代わりとなった夏目吉信の六栗城跡
愛知県額田郡幸田町の六栗城跡は、三方ヶ原合戦で徳川家康の身代わりとなった夏目吉信の六栗城跡です。別名・夏目屋敷。
歴史
夏目氏は代々松平氏(徳川氏)に仕えていましたが、三河一向一揆の時、一揆方として家康方と戦いました。
夏目吉信は六栗城や野場城を拠点とし、家康方と戦いましたが、松平伊忠に攻撃され、捕らわれてしまいます。
しかし家康は吉信の勇猛ぶりを評価し、命を助けると吉信は感服。吉信はいつの日にかこの恩に報いようとまで思うようになっていきました。
時は流れ元亀三年(1572)、甲斐の武田信玄が上洛する際、三方ヶ原で徳川軍の敗戦が濃くなると、吉信は家康の身代わりとなって敵中に突撃、討死してしまいます。
家康はその死を悼み、吉信を六栗明善寺に葬りました。お城は慶長年間(1596〜1615)頃、廃城と なったようです。
感想
かつての六栗城は竹林と民家となっています。お城からやや離れた明善寺に吉信のお墓があり、側には看板も建っています。
私の感想ですが、お城跡は無くなってしまいましたが、菩提寺に案内看板が建っていると、城主の夏目氏の事が分かりやすいと思いました。
なぜかというと、三方ヶ原古戦場のある静岡県浜松市では、夏目吉信は結構有名な武将なのに、愛知県ではほぼ知る人はいないからです。
夏目吉信も武勇を誇る戦国武将で、その居城跡も現在の幸田町にあるので、三河武士として今後顕彰されると良いですね。
夏目吉信のお墓と看板。正確にいうと明善寺の中ではなく、南側の道路向かいにあります。
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