井瀬木城(井関城) | 佐々成政の父・佐々成宗(盛政)が築いた城




井瀬木城(井関城) | 佐々成政の父・佐々成宗(盛政)が築いた城

 

 

愛知県北名古屋市(旧師勝町)の井瀬木城(井関城)は、佐々成政の父・佐々成宗(盛政)が築いたお城といわれています。

 

 

 

 

 

歴史

 

師勝町民話編集委員会発行の師勝の民話によると、次のような話が伝わっています。

 

 

応仁の乱(1467)が収まりかけた頃、井瀬木(当時は井関)の地に、佐々木権左衛門尉成宗という、若者が訪れたそうです。

 

 

周辺で野良仕事をしていた百姓たちは驚き、成宗を城まで案内したそうです。これが井瀬木城といわれます。

 

 

井瀬木城の規模は東西38間(約69m)、南北が49間(約73m)あり、二重の堀で囲まれていたとか。

 

 

到着した成宗は早速、当時の尾張守護職・斯波氏に書状を送り、斯波氏から佐々という姓を賜りました。

 

 

また朝廷より従五位下伊豆守を任じられたということです。

 

 

その後、佐々氏は岩倉城を拠点にしていた、織田氏(伊勢守系)の支配下になり、比良城を築きます。

 

 

そうして天分二十三年(1554)、享年73でこの世を去りました。

 

 

その後、井瀬木城は長男の隼人正(はやとのしょう)成吉(政次とも)が城主となりましたが、桶狭間合戦で討ち死にし、井瀬木城の佐々氏は途絶えてしまいました。

 

 

 

 

 

感想

 

かつての井関城は、現在の北名古屋市井瀬木居屋敷あたりにあった様です。

 

 

以前は堀の跡があったそうですが、現在は弘法堂がある広場になっており、お城跡を偲ばせる遺構はこれといって見当たりませんでした。

 

 

比良城で有名な佐々氏ですが、成政のお父さんの代はこの地に勢力を持っていたのですね。

 

 

私の感想ですが、この井瀬木(井関)城は歴史のIFを考えてみると、非常に興味深いお城だと思いました。

 

 

そのひとつは廃城時期です。

 

 

廃城は永禄三年頃ということですが、この年は桶狭間合戦が起こった年で、城主の佐々成吉(政次とも)は、桶狭間合戦で亡くなっています。

 

 

もしこの合戦で亡くならず、織田家家臣として活躍していたのであれば、弟の成政とどの様な歴史を残したのか、想像するだけでも面白そうですね。

 

 

もしかすると成吉が佐々家を継いでいたかもしれませんし、そうすると本能寺の変後の賤ヶ岳の戦いにも柴田勢として参戦していたのかもしれません。

 

 

お城巡りというか、歴史の面白さは、こういった想像を膨らませる事も楽しさのひとつだと思います。

 

 

所在地 北名古屋市井瀬木居屋敷

 

立地  平城

 

築城時期  文明十一年(1479)

 

築城者 佐々氏

 

主な城主 佐々氏

 

現状 民家・弘法堂

 

井瀬木(井関)城の地図


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