
| 所在地 | 稲沢市増田町字屋敷 |
| 立地 | 平城 |
| 築城時期 | ? |
| 築城者 | ? |
| 主な城主 | 増田氏 |
| 現状 | 屋敷跡 |
| 地図 |
●お城の歴史●
豊臣家五奉行のひとり、増田長盛の屋敷跡です。
長盛は秀吉に仕え、戦功により出世し、後に豊臣家五奉行として主に民政訴訟を担当、その後
大和郡山二十万石の大名になります。
が、彼の栄光も秀吉の存命中までで、秀吉死後、同じ五奉行・石田三成と親しかったのですが、
三成の『家康暗殺計画』を家康に内報して、計画を露見させてしまいました。
かと思えば、関ヶ原合戦では西軍として大阪城の留守役を担当。
しかし毛利輝元の関ヶ原出馬を牽制。結局、毛利氏は関ヶ原へは出陣できませんでした。
そして戦後、とりあえず西軍だったので領地没収。高野山へ追放、
さらに武蔵国(現・東京、埼玉、神奈川県の一部)に流されました。
大阪の陣が始まると、家康から大阪城へスパイとして入城するよう要請がありましたが、
これを拒否。最後は切腹させられました。享年七十一。
●あさメモ●
秀吉死後はどっちつかずで進退の明確さを欠き、切腹させられてしまった長盛。
しかし地元では英雄的存在で、八幡社境内に『増田長盛邸址』と刻まれた、立派な石碑が
ありました。
増田屋敷
