所在地  稲沢市増田町字屋敷
立地  平城
築城時期  ?
築城者  ?
主な城主  増田氏
現状  屋敷跡
地図
あさちゃんのお城めぐり

お城の歴史

 豊臣家五奉行のひとり、増田長盛の屋敷跡です。

長盛は秀吉に仕え、戦功により出世し、後に豊臣家五奉行として主に民政訴訟を担当、その後
大和郡山二十万石の大名になります。

が、彼の栄光も秀吉の存命中までで、秀吉死後、同じ五奉行・石田三成と親しかったのですが、
三成の『家康暗殺計画』を家康に内報して、計画を露見させてしまいました。

かと思えば、関ヶ原合戦では西軍として大阪城の留守役を担当。

しかし毛利輝元の関ヶ原出馬を牽制。結局、毛利氏は関ヶ原へは出陣できませんでした。

そして戦後、とりあえず西軍だったので領地没収。高野山へ追放、
さらに武蔵国(現・東京、埼玉、神奈川県の一部)に流されました。

大阪の陣が始まると、家康から大阪城へスパイとして入城するよう要請がありましたが、
これを拒否。最後は切腹させられました。享年七十一。


あさメモ

 秀吉死後はどっちつかずで進退の明確さを欠き、切腹させられてしまった長盛。

しかし地元では英雄的存在で、八幡社境内に『増田長盛邸址』と刻まれた、立派な石碑が
ありました。

増田屋敷

(ましたやしき)